【2月15日 By YOSHIHIRO MAKINO】
2011年から2012年に掛けて米政権の高官が北朝鮮と秘密会談を北朝鮮内で、少なくとも三回は行っていることを朝日新聞は突き止めた。
日本にとってはこの訪問はそれなりの意味を持っていることになるが、アメリカは当時このことを日本政府には伝えなかった。そして日本政府からの圧力のため、非公式に一つのケースについてだけ認めたことがあった、と韓国とアメリカは語った。
アメリカ国務省は外務省に対して、それ以上の追求は両国関係を損なう、と言って警告を出した、と情報筋は語った。
2012年4月7日、グァムからアメリカ軍用機がピョンヤンに飛び帰還し、更に8月18日から20日まで再び軍用機がピョンヤンに行っていた、と情報筋は語った。
この時、機内には国連安保理における朝鮮半島部長のシドニー・セイラーと、国家情報長官室のアメリカ局の北朝鮮課課長であったジョセフ・デトラニがいたと考えられている。
彼らは北朝鮮の高官らと会って2011年12月に亡くなった金正日の没後の政治について話し合った。
北朝鮮の代表団の中には、国防委員会副議長の張成沢(チャン・ソンテク)がいた。彼は金正日の妹の夫であり、また金正恩の家庭教師であったと考えられている人物である。
日本政府は軍事基地をモニターしている人々からの報告を受けた後に、また航空交通フライト計画を分析することでこのフライトについて知った。
日本側が正式な問い合わせをしたところ、アメリカ高官らはこの案件の秘密的性格に言及しつつ、要求はなされたと語り不快感を示した。国務省は日本側に対し、それ以上は、日米関係を損なうため要求しないよう警告した。
朝日新聞が確認した三つ目の訪問は、2011年11月に行われた。情報筋は少なくとも、グァムから一機の軍用機がブルドーザーを含む重たい装備を、東京の横田基地からピョンヤンに運んだという。
アメリカの太平洋司令部の高官らが代表団に含まれていた。彼らは北朝鮮の高官らと会って1950年から53年まで続いた韓国動乱時の米兵の遺骨収集について話し合った、と情報筋は語った。
日本側がこの訪問について問い合わせをすると、アメリカ高官らは非公式にそれを認めた、と情報筋は語った。
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